report /// vol.3 湊川編:2.団地・湊川病院〜会下山

団地・湊川病院

雪御所公園から石井川を渡ったところには団地が立ち並ぶ。先ほど洗心橋のたもとで話した刑務所があったというのがこのあたり。グラウンド脇にある遊歩道を歩 いていると、気になる看板が立っていた。健康促進のための看板だが、書きぶりから身体への強制的な指図を感じる気がするのは刑務所の名残…?などと憶測し つつ談笑。われわれも、今日はまだまだ歩きます。

だだっぴろい道と1994年の住宅地図に記された名

それにしても、川に沿って舗装されたこの道はやけに幅が広い。左に湊川、その先に会下山が見え、視界がひらけて広々している反面、なにかが抜けている感じがする。


震災以前の1994年の住宅地図を見ると、この歩道の上には家屋やお店がぎっしりと立ち並んでいたことが分かる。住宅地図には、喫茶店やクリーニング店などの店や住んでいた人の名前が記されている。今は「道」となったところに立って、1994年の地図に記された名前を眺めていると、過去を透かし見ているような気がする。「おもいしワークショップvol.1」では、灘の震災慰霊碑に刻まれた死者の名前を声に出して読み上げた。今回は、このだだっ広い道の上に立って、1994年の地図にのっている人や店の名前を一人ずつ読み上げた。自分で声に出し、また他の人のその声を聞いていると、この場所にいた住人やその人たちの生活が確かにあったことを実感し、私たちは今二重写しの地図のどこにたっているのだろうかと不思議な気分になる。

すべての名前を言い終わった直後、通りがかりの男性に「何されてるんですか?」と話し掛けられた。その方は湊川隧道保存会のメンバーだった。どう見ても街歩きの集団だったので声を掛けたそうだが、これから隧道へ行くという絶妙なタイミングだった。立ち話がいつの間にか湊川隧道の建築にまつわるミニ講座に。お話の中で、トンネル内部の構造を「クジラのお腹の中のよう」と言い表されていたのがとても印象的だった。


湊川隧道の呑口で、水を呑む

湊川隧道に到着。下の写真で、手前のものは現在の隧道(川が通っている)、奥が古い隧道。

隧道の前に立つと、奥から流れてくるひんやりとした空気とコンクリートの匂いを感じる。隧道の入口はまるでお山があんぐりと口を開けて水を呑み込む姿のようだ。隧道の入口、出口のことを建築用語で「呑口」「吐口」と言う。なるほど、トンネルを通行するもの(川や車や列車などの動くもの)を主体にするとそれは入口、出口だが、山を主体にすると、確かに呑口、吐口だ。水を呑み込み、そして吐く。そんなことを考えていると、会下山も一つの生命体なのだと思えてくる。この感覚を体感してみたいと思い、「隧道の呑口で水を呑む」ということをした。 2Lのペットボトルに入った水(古川の地元にある水無瀬離宮の湧き水)を皆で回し呑む。トライしたい作法としては、呑む人は上を向いてあんぐりと口を開け、他の人がその人の口の中にペットボトルの水を流し込むという呑み方。ペットボトルから注がれる水が、口のなかにすっぽりと流れ込んでゆき、コップでは味わえない感覚がある。やってみた人からは、水が口の中にいつ流れ込むのか分からないのと、水量を自分でコントロールできないというスリルがあったとの感想。山もこうして川の水を受け流しているのかもしれない。この時の写真は残っていない。


ここ、記憶の布石ー会下山の銅像と神戸電鉄

さて、呑口で湊川をいったん見送り、会下山へと歩みを進める。山の階段を少し登ると、その脇に小さな広場のような空間がある。そこにはツルハシを振り上げる男の銅像が建っており、その台座には「神戸電鐵敷設工事 朝鮮人労働者の像」と書かれている。明治期に行われた神戸電鉄敷設工事で厳しい肉体労働を課された朝鮮人労働者の姿をあらわしたものだ。新開地から有馬や三木方面へと鉄道を通した際、六甲山系のトンネルの掘削をはじめとする危険な作業を多くの朝鮮人労働者が担った。なかには落盤事故などによって命を落とした者もいる。台座の裏面には亡くなった13名の方の名前と事故現場が記されている。行き交う神戸電鉄がよく見えるこの場所に、彼らの記憶を刻もうと、有志の者たちによって像が建てられた。今も年に一度、追悼の集いが行われているそうだ。

ここで、この場所にまつわるゲームのようなレクリエーションのようなことをやってみた。なんとなくマダン(ハングルで「広場」の意味)で行われる集いや楽団のようなことをイメージしながら、次のような遊びを創作した。

皆が持ってきた石のなかから二つを選ぶ。一人がその石を持って、石どうしを打ち鳴らして拍子を取る。石拍子の間に「ここ」と言う。そのリズムを続ける。
他の人たちは、「ここ」と言われたときに、思いついた助詞を付けて言う。合の手を入れる感じ。助詞を思いついた人は、誰でも好きなタイミングで言ってよい。

カン、カン、カンと石が一定のリズムを刻むなか、「ここに……ここは…ここで…ここから………ここだけ…」などなど、しばしゲームのようなまじないのような不思議な時間が流れた。「…」の先につづく言葉はないが、様々な動詞や形容詞などを想像することは可能だ。「いる」「見る」「生きる」「暑い」etc...。こうした言葉遊びから、この場所の記憶が浮き立ってくるのではないかと思ってやってみた。表現としてやったわけではないのだが、このワークはややいきなり感があったかもしれない。思ったよりも短めに終わった。拍子の速度が少し早かったのかもしれない。ルールも再考して、またじっくりやってみたいと思う。後日、石のカチッ、カチッという音が、岩盤にツルハシを打ち付ける音のようだったという感想をもらった。


会下山

頂上の公園からは、瀬戸内海と六甲山系が見渡せる。風が勢いよく吹いている。空がさらに高く感じる。楠木正成や海員の霊を弔う立派な石碑が建つ傍らで、輪投げ愛好家のおじさんたちが練習に勤しんでいた。他にも街歩きの集団のレクチャーがあったりと、意外にも山の頂上には様々な人たちが集っていた。

会下山から息を吐くー声と息のあいだ

山を下りる際、階段の踊り場から吐口から流れ出る湊川が見える。その先にあるのが新長田の街並。私たちがこれから向かうところだ。街に向かって、息を吐いてみる。「ハーッ」という呼吸音から声帯が震えて「はーっ」という発声になったり、また呼吸音に戻ったり、と声になるかならないかくらいのところを行き来する。聞こえるか聞こえないかの息を吐く。そばではおばさんが(日課なのだろうか)階段を上り下りしている。私たちはしばらく佇んで、想像の川の流れに少し先の自分の時間をのせて、息を吸ったり吐いたりしている。川は流れ、山は動かない。けれども(山となった私たちは)動かずともここからどこかへとつながっていけるはずだ。それが見えない存在であったとしても。微動だにせず立ち尽くす自身の足裏の感触が、それを確かなものにする。

会下山を越えて、さあ、これから湊川の新たな相貌に出会う。


report /// 3.番町〜新湊川につづく

text:furukawa yuki

photo:ishii yasuhiko, tomita daisuke


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