report /// vol.3 湊川編:3.番町〜新湊川

湊川隧道 吐口から

山を越え、何か節目というか境界を越えたような気がする。そして、そろそろお腹も減ってくる。

呑口で皆で呑んだペットボトルの残りの水を、吐口付近で川に注いだ。ペットボトルの水が湊川と合流する。吐き出された瞬間、異なる水脈のものどうしが混ざる。

雪御所公園の近くでも川の底におりたが、ここの護岸壁はさらに高い。湊川はこの先もしばらく海岸線と平行に流れる。地形の高低差ゆえ、大雨で川の水が溢れると、左岸にある番町地区が浸水する。付け替え工事によって水害を免れたところもあれば、それを被るところもある。川には水位を知らせる警報機が複数設置されていた。ここは市営住宅や家屋に並んで日本語学校やアジア系のお店があった。外国からやって来た人たち、技能実習生や留学生もこの地域の新たな住人となっているのかもしれない。『湊川を、歩く』にも出てくるが、在日コリアンの人たちも古くからここに住んでいた。

震災の時、この辺りは木造の長屋が密集していたこともあり、家屋倒壊の被害が多かった。24年経った今も、フェンスに囲まれた空き地が大なり小なり点在したままになっている。駅からほど近くアクセスに恵まれた好立地なのだが。

夜間中学校跡地にも訪れた。校門と壁面に描かれたイラストしか今は残っていないが、ここに様々な背景を持つ生徒たちが通ったのだろう。

お昼休憩 ニュージャンボ

13時半過ぎ、喫茶店ニュージャンボにてお昼休憩をとった。ここはランチメニューが豊富で、4種類以上のおかずが入ったランチセットが650円。総勢13名の団体客にもスピーディーな対応。長田の懐の深さを感じる。

昼食中、参加者のうちの一人から興味深い話を聞いた。その方は東灘の高校に通われていたそうで、その高校ではマラソンで住吉川沿いを走る習わしがあったそうだ。そのことを通称「清流」と呼んだという。…誰が名付けたのか、その学校の先生、生徒たちに受け継がれてきたのだろうか。清々しいネーミングなのに、その実、忍耐や根気を強いられるという、やや皮肉めいたものを感じるのは気のせいだろうか。または放流された稚魚が大人になって還ってくる、というようなイメージなのか…妄想が広がる。川の記憶から呼び起こされたエピソードだった。


菅原市場跡で「寅さん」を見る

小一時間ほど休憩し、再出発。御蔵公園を通って、阪神・淡路大震災のモニュメントや遺構を見た。それから、震災による火災で焼失した菅原市場の跡地を訪れた。ここは映画『男はつらいよ 寅次郎紅の花』のラストシーンの舞台となった場所だ。震災後に長田区の住民などから組織された「寅さんを迎える会」の要望を叶えようと、制作サイドは元々の脚本の冒頭とラストシーンに神戸の街のシーンを付け加えたのだ。1995年10月に菅原市場跡で撮影が行われている。

菅原市場跡は、今は公園になっている。ここで、皆で映画のラストシーンの台本を読み、その後、そのシーンの映像を見た。

台本と映画を見比べると、台本にない人物や風景が映画の中に描かれていることがわかる。

稲津さんは「被災地はどこへ消えた?ーー「ポスト震災二〇年」における震災映画の想像力」という論考で、この映画に描かれている「被災地」像と「被災者」像について言及されている。

ラストシーンでは、久しぶりに被災地を訪れた寅さんと菅原市場の店主たちとの次のようなやりとりがある。精肉店の会長さんの「わしらのこと忘れんと」というセリフから「被災者」による語りがなされる。また、パン屋のおかみさんは「みんな待ってるわ。寅さん。」といって寅さんの背中を押し、カメラはその先にいる「みんな」の姿ーーマダンの踊りを繰り広げている在日コリアンの若者たち、そしてその見物人のなかにいる車椅子に乗った男性など、「みんな」のうちに多様な被災者の姿が描かれている。この映画のワンシーンから、「被災者」という言葉のなかには、忘却/不可視化される多様な人たちがいることを気付かせてくれる。


このシーンの最終カットは、新年の祝いが行われる菅原市場からカメラがどんどん引いていき、瓦礫や空き地、プレハブの家などが立ち並ぶ街と六甲山を俯瞰したところで終わる。カメラが引きになって行く程に、マダンの踊りの渦が加速して力を増し、ついに飽和して緩やかになるのも美しい。踊り手は「長田マダン」の農楽演奏チームで、ロケ日の5日前に出演が決まったそうだ。

そんな、1995年の神戸を記録する映像を見ていると、公園で遊んでいた小学生たちに「何してんの?」と声を掛けられた。休日の公園は子供たちや親子連れが集っていた。菅原公園を後にして、再び街を歩く。最後のシーンは、あのビルの屋上にカメラを置いたのかな、などと喋りながら。


湊川に再会する

さて、しばらく湊川から距離を置いたところを歩いていたが、再び湊川に出会う。湊川は、ここより少し北にある長田神社付近で、苅藻川と合流しているので、正確にいえばこれは新湊川だ。

新湊川に隣接する長田南小学校のグラウンドの片隅には一つの石碑が建っている。石碑の正面はグラウンド側を向いているので、歩道からは何の石碑か分からない。この石碑は、戦後の一時期、ここに朝鮮人学校があったことを記したものだ。かつて、小学校の校舎内に在日コリアンの子どもたちにに民族教育をする朝鮮人学校があったのだ。その記録を残すために石碑が建てられた。私たちは歩道のフェンス越しに、石碑の後ろ姿を見た。

新長田駅方面に向かって歩く途中、西代(山の方)の方面に目を向けると阪神高速の換気口が見える。地下を走る阪神高速は、都市の地中を走る巨大な管でもある。あの換気口はいわば阪神高速の「吐口」なのかもしれない。


report /// 4.新長田〜湊川河口につづく

text:furukawa yuki

photo:ishii yasuhiko, tomita daisuke


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